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福島県剣道連盟会長 長谷川弘一

 人生の殆どを剣道に費やしてきた私の人生も、今年一月で古希を迎え、剣道を10歳の時に始めてから丁度六十年目を迎えることとなりました。失笑、あるいは叱咤されるか、わかりませんが、不治の心臓病に悩まされている昨今、そろそろ人生の『残心』の時期が迫っていることを切に感じることがあります。新年度のあいさつには似つかわしくない話題ですが、今年も充実した剣道生活ができるよう願いながら「残心」ということに拘ってご挨拶に代えさせていただきます。笑読していただければ幸いです。

 近世の日本人(特に武士)は「死」というものをどんな風にとらえていたのでしょうか。気になっていろんな文献を読み漁ってみましたところ、近世武士の死生観は、彼らの生き様、死に様と無縁ではなかったようです。「この世」と「あの世」は表裏一体で結ばれており、受け入れがたい現実が目の前に突きつけられたときにあっても、先に繋がる、たとえば「死」ということに対しても「死」がどういうことか問わないままに「こちら」の世界(この世)を精一杯生き切ることに専心する。そして「さようであるならば、さようであらねばならないのであれば、さらば(さようなら)・・・」と覚悟を決め、深く別れを告げることによって「向こう」の世界(あの世)の何かしらと繋がっていくという発想を、日本人は近世以前から持っていたようです。その心の支えとなったのは、鎌倉前期から中期にかけて衆生仏教に徹した親鸞(11731263)の伝えた「往還回向思想」であると思われます。すべてのエゴを捨てた帰依心、心からの願いや善行(回向の内の往相)が阿弥陀仏の「本願力」という功徳となって還ってくる(還相:げんそう)という往還回向思想が根底にあったようです。したがって、剣術修行の一本、一本への純粋な捨て身の心気あふれる斬撃の稽古の中にも、命を懸けたその思いはあったはずであろうと推察します。現代剣道の中にもこの純粋なエゴのない一刀にかける捨て身の技、そしてそれを支える「武のこころ」は忘れられることなく途絶えることなく次代へ受け継がれていくべきものであり、同時にその具体的修練法構築の必要性を切に感じます。

 令和6年度は、各年齢層、各領域・職域、男女性別に関わらず各種大会において好成績を残し、選手の皆様には改めて心よりお祝いと敬意の言葉を伝えたいと思います。令和7年度においても、ここぞという時には全てあるものを出しきって捨て身の技の鍛錬を継続することを切に願っております。

 「すたれば戻る」、捨て切った心と技の後には自然に元の心気(元気)は自分に戻ってきます。令和7年度に於かれましても、更なる飛躍を祈願致します。